僕は人間一人ひとりがアーティストだと思っている。生き様こそ、最大の芸術である。創造性を最大限に発揮させ、人に訴えかけることができるものは生き様である。

 

心に嘘をついて安定を求めるのではない。心と身体はコンパスであり、指し示す方向に自分が求めているものがある。その方向に従わないというのは、コンパスに無理に磁石をくっつけ、N極を狂わせているようだ。欺瞞を続ければ続けるほど、胸の内に鳴り響く声を聞くことはできなくなる。

 

だから普段からやりたいことをやるのだ。伝えたいことを伝えるのだ。直観に従うのだ。好きになれば好きだと伝え、怠けたいのであれば怠けてみる。やってみれば分かるが、怠けることに飽きると動きたくなるものである。

 

身体の声、思考の声、常識の声、天の声を振り分けることで、自分に正直でいるとはどういうことかが見えてくる。これらはバランスが重要であるが、特に意識すべきは身体の声と天の声である。なぜならこの二つの声を無視するのは容易いからだ。しかしこの二つの声を無視すれば、うまく生きているはずなのに虚無感を抱くことになるだろう。

 

身体の声とは心であり、天の声とは直感である。心と直感を研ぎ澄ますことで、自分に何が必要なのかが分かる。

身体の声は、在り方の設定がないと単純な本能の声になる。だから先に心の在り方を設定し、内なる言葉を磨いておくことが大切である。

 

心言動の一致とは、思うこと、言葉にすること、行動することをバランスよく揃えていくことである。

心言動の一致をさせると自分の力をフルに発揮することができる。

それによる効能は①結果を容易に出す②意思が人に伝わり思いを伝染させる③信用を得る。

 

つまり自分以上の力を発揮する術である。

心に従った発言行動には力が宿り、人に伝えたいことが伝えるようになる。エネルギーを与えることができる。

授業中に生徒が眠くなってしまうのは、教師の心言動が一致していないからである。嘘を並べるほど、聞き手は退屈で眠くなる。面白い授業は教師がその教科を楽しんでいるからだ。

 

心に描いたことを身体を使ってアウトプットする。自分に嘘をつかない生き方をしよう。

ただし、心の声に従っているつもりが中毒に侵されている場合がある。例えば、ギャンブルや薬など。これは心が求めているわけではないことでない。在り方を設定していないことが原因の一つであるが、そもそも身体がおかしくなることを、身体は求めない。テレビゲームを求める心理は、それをしたいのではなく、退屈さを紛らわしたいのである。肉体を求める心理は愛されたいのである。ソシャゲの課金は単純に興奮したいのである。

 

欲求の根源が分かれば、対処の仕方は欲しいものを直接得ることだけに限らない。こういった分析には思考の声も必要になる。しかしそうはいっても適度に遊びは必要である。適度に遊んでおくことで己の道から外れ、身を滅ぼすことはなくなるだろう。神経質なほどに真面目であると逆に不具合をもたらす。ダイエット時の過食が良い例だろう。

 

身体の微細な反応を確かめているうちに、身体の声を聴くことできる。そうすれば上記のことを考えずに瞬時に自分にとっての必要なこと、そうでないことを判断することができる。その方法は直接伝授したい。

 

心言動を一致させることを常に意識して生きていこう。