多くの人が云う「自信がないんです」は、‟私の実力は物事を成す保証にならないんです”という文脈だね。自信がないと平気で言ってしまう人は、物事を達成するためには自分に実力がなければならないと思い込んでいる時点で、やっぱり幸せになりにくい。

 

そもそも物事を成すのに、自信があるとかないとか、本当は考慮に入れなくていいんだけれど、どうしても自信について考えてしまうのであれば、自信の定義を変えてみよう。

 

自分を信じるとは、‟自分の実力”に対する思いじゃない。‟今までの自分が憧れてきた対象、それは正しいんだよ”と味方することをいう。

だから、その憧れをあなたが全力で追いかけていいんだよってこと。その憧れを抱くことは間違っていないんだよって。

 

僕の話になりますが、自分のルールだけに支配される生き方に憧れてた。何事も、嘘を付かない人生に憧れてた。稼ぐお金も時間の使い方も、誰と一緒にいて、誰を愛していくかも、全て自分が決める人生にしたいと子供の頃から思って生きていた。それに対して、無理だと思ったことはなかったから、目の前の束縛(時間的心情的場所的)があると、それを飛び越えようとしてきた。あなたにもそういうものがあったと思う。

 

それでも普通だったら大人になるにつれ、足下を見るよね。そして足元を見た瞬間に人は自信を失うことになる。現状と憧れの差を知って失望するから。そして憧れを抱かなくなる。これが自信がなくなるメカニズム。人によっては、かけっこが遅かったとか、志望校に落ちるとか、そうしたときに憧れを抱くなり、自信がない状態になるかもしれない。「憧れを抱いた私が間違っていた」と思うと、やりたいことを聞かれても「ない」と答えるようになる。こうして「実力がないと思うこと=自信がない」が生まれる。

 

これが染まり切った大人はなかなか救えたもんじゃない。根底にあるのは僻み根性で、志す若者を挫くことで現実を知っている自分には価値があるという精神構造を持った真の敗者が誕生する。憧れや希望を失った人間はゾンビである。ハロウィンじゃなくてもそこらじゅうを歩いているよ。日本の教育、社会はゾンビ製造工場みたいなものなのかもしれないね。もちろん素晴らしい人もたくさんいるんだけど(これを読んでくれてる人とか!!!!)、闇の住人の心理に対して一定の理解をすることは、自分の身を守ることになるから言わせてもらった。

 

脱線してしまったけれど、自信は、自分の実力と憧れの差ではないよ。憧れを追っていいと自分に許可しまくることだよ。「これまでのあなたがその願いを抱いたことは、間違っていないんだ」ってことを確信するんだ。だから、その願いを達成させるまで継続することできる。そしてその継続性が1つの成功を生むことになるんだ。万一諦めたとしても、その憧れに至るまでの道中に大きな価値があったんだ。新しい憧れが遠くに見えるなら、次はそれを追っていけばいい。

 

憧れは、船にとっての灯台で、憧れに近いところまできたら、それを追い越して次の憧れを追う。

 

あのなぁ、「わたくし、自信がないので一生ハイハイで過ごします」なんて赤ちゃんはいないでしょ。

赤ちゃんは、お母さんに憧れて、同じように二足歩行を目指すんだ。おままごとをするんだ。今の実力を考えなくていいのさ。

 

あなたの抱いた憧れは間違ってないから、これからも追っていこう。それは人から見ると自信があるように見えるよ。

この憧れを抱いてる私は正しい。実力はないかもしれないが、だからこそ、誰が何と言おうとも追いつづける。

 

最高にロックじゃないか。

自分を信じる。それは実力を信じるということではなくて、これまでの自分が抱いてきた憧れは間違っていないと信じるということ。