人は幸せになるために生まれてきたのではない。

B!

新潟におりまして(12日目)、こちらはとても涼しいです。夜には首都圏でみられない星が見えます。実は生まれてはじめてさそり座を見ました。縦に3つ星が並び、赤というよりはオレンジに近いアンタレス、そこから大きくS字カーブしていて、想像していたよりも大きなスケールでした。

さて、ここからは断定的に。

 

運命–自分の意志を超えた、幸せや不幸を呼び込む力。運命に翻弄され続けるという「運命」に気づくと、人は絶望せずにいられない。自分が手にしているもの、そしてこれから手にするもの全てはいつか失うと悟ってしまうのだから。生きることが馬鹿らしくなってしまう。

 

あるいはこの絶望の大地に立って歩き出せたとして、どこへ向かったら良いのか分からず、同じところを行き来し、ついには運命に跪いてしまうかもしれない。絶望の大地に降り立ったあなたはもう「幸せになるために生きる」という指針では歩いていけない。代わりの、新しい指針が必要になる。

 

そこで私が考案した指針を発表しよう。もし、面白いと感じてくれたらこの価値観を採用してくれたらいい。

 

あらゆるもの、全てをいつか必ず失うと伝えたが、この世で死ぬまで残り続けるあなただけのものが一つある。しかもそれはいつもあなたを死ぬまで支えるものだ。

 

それは「経験」だ。経験は常に現在進行形で更新して、自分の言動、所作、ふるまい、価値観など、人格影響を与える。経験を失う(無駄になる)ということすら経験となり、常に今の自分に反映されていく。死んだ後はどうなるかわからないが、経験は目に見えないものだ、もしかしたら「経験」は死んでも残り続ける可能性だってある。

 

「経験を積むこと」を生きる指針にすれば、運命を愛することができる。経験を集め、人格という作品を作っていくことに価値を置く。これを「経験人格主義」と名付けることにする。

 

経験値を稼ぐためであれば、どんなことをしていても、どんなことが身に降りかかったとしても、それを許せるだろう。

 

「経験人格主義」によって、運命と自由意志は一つとなり、自由を得ることになる。

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