「学校に行きたくなかったら行きたくなければいいのに」

と今になって思うが、実際自分が小中学生の頃、その選択は取れなかっただろう。(高校生のときは自我がはっきりして、学校に行かない選択肢を普通に取っていたけれど)

 

親から心配されること自体が、精一杯のプライドが傷つく。後ろ向きな自分の弱さ(それは弱さじゃないんだけど)を認めたくない。行かないなら、行かないなりの正当性が自分に欲しい。こんなところかなぁ。

 

そこで、もし君が自殺を考えていて、それが学校に行きたくないからだったとしたら、そうした一種の罪悪感を取っ払い、堂々と登校しないことを選べるようにしようと思う。自分にはこれしかないと思うことが、心の健康に良くないからね。行きたくなかったら行かなきゃいいんだ。宿題もしたくなかったらしなくていいんだ。って思えるようになれば幸いです。

 

宿題や通学を守った先に幸せがあるわけではない

僕は高校生のときに、学校から「このまま遅刻続けると、留年しますぜ旦那ぁ」とのお手紙が来るほどの遅刻常習犯だった。興味のある授業しか受けなかったし、夜型だったので基本的にお昼から登校してた。高校一年のときから。

 

僕は自分の「行きたくない」「頑張りたくない」という心を尊重したかったんですね。あとで後悔してもいいから。ここで我慢してしまうと、一生我慢し続ける人生になってしまうと。自分の味方になってくれるのは自分だけなのにね。そういった弱き心を無視することが、欺瞞(自分をごまかすこと)であり本当の弱者じゃないかと思っている。

 

実は中学生までは生徒会副会長の評定平均43/45の優等生型の学校生活を送っています。ただ、高校生に上がると共に「そういうのは卒業しよう!」と真逆の舵取りをすることになります。自由な高校だったのが追い風になった。

 

話は飛んで、僕が新卒で入社したときの話をしよう。入社一日目で思ったのは「学校と一緒じゃん!」と思いました。自分で決められることがない。正確に言うと、心の反乱が起きない程度のいくつかの選択の自由は用意はされているんだけど「そのくらいの自由で勘弁してね。満足でしょ?」っていうのがひしひし感じた。ああ、システムに組み込まれる~。なりたくなかったものに自分がなってしまった。会社で生産性を上げるために、学校があったんだねー。

 

で、5か月で辞めるよね。

 

結局、学校に行きたくねぇと思いながらも学校に行ける人、宿題やりたくなくても宿題をやれる人というのは、会社に入っても愚痴を吐きながらもなんだかんだ出社して、酒を飲みながら不平不満を垂らして生きていける人です。それはそれで素晴らしいことです。僕にはできないことだし、そういった方たちのおかげで経済が回っているから、尊敬しているし感謝している。なくてはならない人たちだ。そういった人たちがいるからこそ、僕は自分の生きたいように生きていけている。だから多くの人々に、貢献したいって心から思えるんだ。

 

さぁ、君が死にたくなるほど学校に行きたくないのであれば、僕のようにサラリーマンにはきっと不適合です。学校に行かない代わりに、他の生きる道を探しましょう。将来お金を稼ぐ方法はいくらでもあるし、サラリーマンしてないほうが稼げるよ。学校に行かないくらいで、道は外れないよ。どうしたらいいのか分からないなら、俺のところに連絡すればいい。Twitterでもいいし、ライン@からでもいいし。

 

俺たちは幸せになるために生きているわけじゃないが、不幸も全部も含めて楽しいもんだよ。冒険的にいきようぜ。今、その第一歩を踏み出す時なんじゃないかな。

 

学校に生き続けた結果、幸せになると思っているなら幻想だよ。

学校に通い続けたら10億円貰えるの?好きな人と結婚できるの?病気もせず痛みもなく死ねるの?

 

誰かの用意した目標を追いかけ続ける人生が嫌なら、学校はもう卒業していいんじゃないかな。

大事なことは我が道を見つけること

自分に嘘を付き続ける人生なら、それはあなたがあなたとして生まれる意味はなかったでしょう。あなたが行きたくないという欲を持っているなら、それは叶えるべきでしょう。

 

周りが望まぬ自分になってもいいのさ。無心で頑張れなくなったのは、あなたに自我が宿ったから。もう大人の仲間入りだよ。

だから次の次元に進もう。君はどんな道に進んでいくのか、迷いながら探していくこと。これは大人でも見つかってない人が多いんだ。我が道を見つけていない大人は取り敢えず、誰かの用意した正義を掲げて生きていて、アイツはおかしいとか、社会がどうとか、そんなことを言って過ごしている。

 

何が楽しいのか俺には分からないけどね。

 

人生は少し棒に振ったほうが、エキサイティングで楽しいんじゃないかな。