「人生には意味がある」「夢を持て」という標語は、万人受けするが、万人に当てはまらない。
「あらゆることに意味はない」という絶望の大地に立って物事をはじめないと、世界と折り合いが付けられない僕みたいな精神構造の方は病むことになる。
— るいさん【1stシングル8/8配信】 (@Guil_inside) 2018年7月24日
人の相談を聞いたりとか、あとは僕自身に降りかかる事件とか、そういったものを通して気づいたのですが、人間っていうのはなかなかどうして、幸せにならないと気が済まないらしい。僕も気づいたら幸せになろうとしてしまいます。
幸せにならないといけないと思うから、辛くなってしまいます。理想と現状を比べるから辛くなる。理想があるから頑張れるという人はとても素晴らしいです。ですが、胸を締め付けられて内臓がじわじわ破裂していくような絶望の沼に沈んでいる人が抱えている問題は、いくら努力してもどうにかなるような甘いものではありません。もう、頑張っても仕方がないのです。特に人間関係ね。
そういう人にとって、希望は毒となり、鉛になって、底へどんどん沈んでいきます。ではどうすればよいかというと、夢や希望を捨てて身軽になることです。分かりやすく言えば、この世は苦しいのが普通ということを受け入れるということです。人生そんなものだよって思えるかどうか。意味なんてないんだから。
いえいえ、決して我慢しろという意味ではありません。我慢は、本当にしたいことを抑えないと不利益を被ると思うからすることでしょう。もともと辛いんだから、我慢する必要はないですもの。人生、棒に振ることをためらわないということです。三振上等だコノヤロー精神でいくってこと。
僕の話になりますが、サラリーマンを一日で辞めたり、全財産使ってあてのない京都に引っ越したり、人生を棒に振りまくってます。もともと人生とは苦しいものなのだから、このくらいはなんともない。結局生きてますし。生きづらいときは、希望や夢を持ちすぎて身体が重くなってるよ。
ただ僕もね、この時のために生きてきたとか、生きることには意味があるとか、そういった思いで最近まで、生きてきました。でも、本当に失いたくないものを失ってから、気づいたんですね。変わらないものがないということに。諸行無常。もしこの世に「かけがえのないもの」が存在するなら、いつまでも在るはずなのに。それでさえ変わっていくのだから。
全てに代わりが存在する。僕はそれってとっても救いだなって思ったんですね。