自分を差し引くのは謙虚じゃない。差し引くことだけは一人前になったその態度はもはや暴力に近い。
「差し引いた分あなたに埋めてかまってほしい」と迫っているかのようだ。その場合、素直に言ってくれた方が可愛げがあって個人的には好きである。
自分を差し引く美学に酔われてしまった患者の目を覚ますには、バケツから溢れるまでひたすら承認の言葉を投げかける。他人の言葉で心は創られるからだ。「一生そうしていろ」と自ら立ち上がるまで放り出すという手もあるのだが、これはバケツに穴が空いた承認依存症の人に行う方法である。他者に依存せず、自分で承認のバケツを修復させるために行う。
「すごいね」という承認に対して「いえいえ私なんて」と言う人は、自分一人の力だけでここまで来たと思っている裏返しである。そのすごいという言葉が、あなただけに向けられたと思っているから承認の言葉を否定しようとする心が生じる。あなたも例外なくおかげさまで生きているのだから「みんなのおかげでここまで来れました」と言えばいい。それが謙虚というものだろう。思ってなくてもそれは実践すべきで、いつか本当に心からそう思える日が来る。
私は偉いと思わず、素直に学ぼうという姿勢を謙虚と呼ぶ。向上心を持っておかげさまで生きてると思えば、自然と謙虚になる。
アスリートが「私なんて」という気持ちで金メダルを獲れるか?金メダリストのインタビューを聴けばわかるだろう。
関わってくれた方たちの恩に報いるには、向上心を持ち最高の自分を達成し続けようとすることである。