どんな大人になればよいのか

我慢するのが大人なのか

諦めるのが大人なのか

大人しくするのが大人なのか

 

今、迷いの時代到来です。

モノがなかった時代、1980年までは、「人々が求めるモノを安いコストでいかに早く作るか」が課題で、指針だった。だから伝えることは一律で構わなかった。学校教育が生きた時代。

現代ではモノが余って、少し昔に「断捨離」という概念まで誕生しました。モノを捨てることで、ざわついた心を穏やかに豊かにしようという取り組みです。

 

心に余裕が生まれると、様々な価値観が発生します。人口の数だけ世界がある世の中になります。誰かの考え方や生き方は、誰かのそれらとは正反対です。

技術の発展も目まぐるしい。お札を使ってレジに並ぶのも時代遅れになるでしょう。AIが面倒なことを処理してくれる世の中になるでしょう。

 

教師や大人が言う言葉は、原理原則と前時代の価値観がごちゃごちゃになっている。全て正しいことを言っているけれど、どの時代でも通じる原理原則と、今(昔)しか通用しない価値観を混ぜて発言してる。だから教わった側は将来、迷うことになる。今は好きなことで生きていける時代になりつつあるし、大なり小なり、僕も叶えてしまっている。

 

あなたは何を目指しましょう。「ただ何となく生きる」では、部品として組み込まれるだけです。それはそれでいいかもしれないし、多くの人々はそれを良しとするでしょう。だけれど「このままでいいのか」という思いをほぼ全員、同時に持って働くことになるでしょう。あなたと同じ普通の人間なのに、好きなように生きている人がいるから。全員が同じことをしているなら迷わないけれど、そうでないから迷うことになる。

 

僕も昔、一日でサラリーマン辞めてます笑。迷い極めて就職して、入社の朝に「俺は時間に縛られた生き方はしない!」と決断して翌朝辞めるっていうね。周りにめっちゃ迷惑をかけた。でもいいんです。自分に嘘を付き続けるほうが罪深いと思ったから。そんな背中を子供たちが見たら、大人になりたくない、生まれてこなければよかったって思ってしまう。そういうものに加担したくなかった。

 

実際それから二年後、本当に時間に縛られない、365日全部自分で決められる生き方を達成しました。熱中することは明日のことを気にせずに朝までやる。悲しいときはずーっと引きこもってTwitterをやる。笑

 

迷いの世界を作った責任は僕にあります。僕の伝えたいことが世界に伝わってないから。全然自分の役目を果たせていない。

「どんな境遇であっても立派に生きることはできる」このメッセージが世界に伝わってない。

 

立派な心を持てば、どんな境遇でも自由を手に入れることができる。僕はそう思っている。道徳を大事にしろとか、そういうことじゃない。自分の決めた道を全うする覚悟を持って、全力を注げということ。世間に批判されるようなことであっても決して折れるなということ。自分との約束を守れということ。そうすれば必ず報われる。

 

生きていたら嬉しいことも悲しいことも苦しみも起こるもの、そういうものだと思ってる。悲しみや寂しさや不幸が、生きる大きな原動力になっているから、これからも持ち続けたいと思ってる。この世に必要のないものであれば、悲しみは存在しないはずなんだ。

 

思い通りにいかないことがあるからこそ、思い通りに生きることができている。だから僕は不幸も迷いも歌う。俺が創った世界で起きた出来事だ、全部受け止めてやるよって、構えてる。迷いや不幸や悲しみにも人格があるなら、そいつらも仲間外れにすることなく愛したいと思うよ。そう考えることが立派だと僕は思ってる。立派でありたいと常に願っている。

 

一人ひとりが胸張って立派な心を持って生きる世界を俺たちは創っていく。自分で決めた生き方で生きるということ。どんな状況でも面白いという感覚で生きる人間たちによる世界を。

立派に生きるための指針を歌に込め、共感できる仲間を集め、共に経済圏を創ること。これが俺たちの人生をかけた大事業です。