この世界は苦しみの連続です。生きている人にとって、それは例外ではありません。どれだけ裕福になろうが、病気にはなるし、誰でも死にます。自分が健康であっても、愛する人が亡くなって辛いということが必ず起きます。一生、一緒にいたいと思った人とも、必ず別れます。大事なものが得ると、失うことへの恐れが生まれます。そして失うと沈みます。そうやって生きていると、人の痛みが自分の痛みのように感じるようになります。
私たちが苦しむ理由、それは「思い通りにならないから」です。思い通り、つまり人間には支配欲があります。コントロールしたいけれど、うまくいかないから辛い。僕にもあります。感情が揺れるときは、支配できなくなったときです。そして悲しんだり、怒ったり。実は笑いなんかもそうです。理由が分からない(道理を支配できないから)から笑ってしまうんですね。
「では、この支配欲を手放すにはどうすればいいのですか!?」と気になったかもしれませんが、その質問自体、支配欲をコントロールしようとしているからなぁ。
どうすることもできないので、放っておきましょう。どうせなんとかなるからさ。
コントロールしたいという欲が原因で、結果として「思った通りにいかない」という不幸感を得る。特に人間関係のほとんどが予測通りには動きません。余談ですが、導く(リード)と支配(コントロール)の微差はなかなか難しい線引きですね。目安として、怒りなどの感情が出てきたらそれは支配(コントロール)からくるものでしょう。
欲に対してコントロール(我慢)しようとすると、代替行為が始まります。暴飲暴食したり、叫んだり、泣いたり、怒ったり、暴れたり、自傷したり、他人を虐めたり、殺したり。で、そういうことは我慢できないわけです。満たされない思いを辻褄を合わせてどうにか解消しようとして、結果、更に悲劇的になる。だったらもう、最初にやりたかったことをやるしかない。
しかし、やりたいことの根本の理由が支配欲に起因する場合は、自らを振り返る必要があります。お前は私のものなのに、どうして思い通りにならないのかと、暴力を振るう行為(代替行為)をやめるために、その人を束縛しちゃならないということ。思い通りにならないのが普通なんだってば。重力に逆らって空を飛べないことに腹を立てないでしょう?
支配欲(思い通りにしたい)をどうすりゃいいかという考えがすでに支配的である。支配しようとするということは、支配できていないということを認める姿勢でいるということです。支配できていないと思うこと自体が苦しみですから、決して支配しようとしないことです。王の器は支配しようとはしないし偉そうにもしない。
コントロールできていない事象も含めて自らの手の中にあると考えましょう。
心が苦しい人は以下を音読しましょう。
「思うようにならないことも予定通りっす。ん?コントロールしたいだなんて思ってないよ、だって既にコントロールされているんだから。私はさらなる幸福と感動のために、狙って今不幸になっているんだよね。」