世界には二種類の人間がいます。試練が多い人と、そうでない人です。試練の数は平等ではありません。

 

試練が多い分、複雑な感情を体験していくことでしょう。幸せと不幸を同時に願う気持ちや、全てを燃やし尽くしてしまいたい衝動、同時に全てを失ったと思ってもまだ何かにすがっている弱さ、窮地のときの意外な冷静さ、快哉を叫ぶ境地...とまぁ、綺麗とは言い難い感情を味わうことになります。

 

挫折をしていく度に、人の救える範囲が広がっていきます。人の気持ちが‟だいたい”分かるようになるからです。完全に人の気持ちを理解することはできませんが、一通り経験した人なら、推し量ることはできます。だから、適切な言葉を授けることができる。

 

試練が多い人は、沢山の人々を救う役割を天命から与えられているのでしょう。人を救える数が多く、そこから得られる喜びも大きい。普通の生き方では得られないものです。

 

どうして私だけこれほど傷つかなくてはならないのか、と思う人もいるでしょう。試練の数は平等ではありませんからね。

試練の数に差があるのは「挑戦回数」の差があるからです。試練に対してやり過ごしてもいいところを、勇気を出して受けて立ってきた回数が多いのです。たとえ試練の機会は平等に訪れていても、そこに立ち向かおうとしなければ何事も起こりません。しかしあなたはその運命の果たし状を受け取ってきたのです。

 

試練に立ち向かえるのは、願いを叶えたいからです。わが身に宿る深き欲を満たすために、傷つくのを恐れない気概がある。無難な生き方を選ぶくらいなら、それは自分として生まれなくてよかったはずだからね。挫折が多いのは、願い(欲)が強いからですが、痛みを知るにつれ、終いには人を救えるようになってしまうのです。試練を多く乗り越えてきた人は、私欲と公欲が混ざり合った願いを持つようになるでしょう。自分の願いも人の願いも同時に叶える、第三の道を模索します。

 

ひとたび挫折してから傷つくことを恐れて挑戦しなくなった人は、そこで人に与えられる影響の範囲はストップします。それはそれで悪いことではない。そのくらいの器だっただけのこと。その中で生きていけばよい。僕の意見としては、恐れずにまた挑戦をして、新しい喜びと絶望を感じてほしいと思うけどね。経験こそ財産だからさ。

 

勇気がいることはすべてあなたにとって試練です。試されているならば、胸を張って受けて立とう。そんな生き方、かっこいいでしょ。